世界中に溢れている勉強法に溺れる。

昔は勉強が好きだったような気がする。

というかテレビを観ながらでも勉強ができたし

それがちゃんと頭の中に入っていた。

でも、それってただその時の勉強のハードルが低かっただけで

段々とハードルが高くなっているのにも関わらず一緒の勉強方法でやっていた。

すると、段々置いていかるようになってしまった。

でも、別にいい高校いい大学に行きたかったわけでは無かったので

それなりに勉強できればよかったのでそのままにしてた。

あの時真面目に勉強していればもっと今の環境が

なにかしら変わっていたのかな〜ともたまに思うけど

今からそれを取り戻すために大学に行こうとはもう思えないし

何年もかけて勉強したいことはみつからない。

でも、細々といろんなことを知りたい。

浅く広く、それが意味あることでもないことでも。

今はいらない知識かもしれないけど

何ヶ月後には役にたつかもしれない。

その時には忘れているかもしれないけど

そういえば前読んだような気がするな。

そんな風に思い出すことが出来たらなとも思うわけで。

英語を話せるようになるには最低でも1000時間かかる。

1000時間って、1日2時間勉強しても一年半弱かかります。

でも、それを地道にするしかない。

それしか習得方法はないんです。

それこそが、勉強方法ってどんな本みても書いてあります。

10日でできる! とかは結局できない。

基礎は学べるのかもしれないけど結論それだけでは習得は無理。

ネイティブになりたいならネイティブと同じ時間勉強して話すしかない。

それこそが一番の近道なのですよ。

ということがこの本にも書かれていました。

「学年ビリから東大へ進み、作家になった私の勉強法」

天才に近づきたいなら天才と同じ時間勉強せよ。

昨年度まで、民法テレビで放送されていた将棋のアニメでも

誰よりも将棋と向き合って来たものが勝者になる。

敗者は勝者のように将棋と向き合えなかった。

そこまで将棋を愛してがむしゃらに学ぶことができなかったのだ。

そして敗者は、将棋を愛してがむしゃらに学ぶことができるのも才能だと言った。

そう、なのかもしれない。

ただひたすらひとつのことに取り組むのって結構きつい。

すぐ飽きてしまう私の性格ではなかなか難しい。

でも、それに取り組む時間が短いと結局なにも掴めない。

向いているか向いていないかわからないまま投げ出す形になる。

それは本当にもったいないことだと思う。

だから、やっぱり始めたからには途中で諦めないことが肝心。

どんなことにも挑戦していいけどある程度の時間は必要。

やりたいことはとにかくやってみる。

いろんなことに挑戦する。

その中から、自分の出来ることやりたいことやるべきことをみつけていく。

選べる選択肢をいっぱい持っていた方がいい。

ひとつだけに絞るとそれがなくなった時絶望してしまうから。

私も、絶望したことあるし、最近までずっと絶望してた。

だから、こういう言葉って励みになりますね。

そして、始めるのに遅いも早いもない。

おじいさん、おばあさんになっても何でも出来る。

テレビで紹介されていたおばあちゃんがプログラミングを

最近初めてアプリを作って表彰されていた。

かっこいい。

あんなおばあちゃんに、私もなりたい。